山田顕義 漢詩
軍人・政治家として活躍を続けた日本大学学祖山田顕義(1844~1892)だが、そうした活動の日々に知遇を得た人々の影響もあり、山田は実に多彩な趣味嗜好の持ち主であった。山田に限らず、当時の顕官たちの詩文・書画への造詣の深さには驚かされる。山田は「空斎」の号をもっぱら使っていた。 明治政界で活躍するなかでも多くの知識人たちと交流を持ち、表舞台の喧騒からしばしの休息に、音羽の別荘に大沼枕山・小野湖山・森春涛といった明治詩界を代表する漢詩人や、長州藩以来の友人長三洲、児玉奎海等を音羽の別荘に招き、詩吟会・茶会を催すことを楽しみとした。
【凡例】
- 山田が揮毫する漢詩文はそのまま旧字体で記したが、書き下し文や[大意]・[注]・[補説]などは、現在通用の漢字にした。
- 漢詩の寸法は、掛軸装丁の本紙部分の大きさ(縦×横cm)である。
- 表題(作題)については日本大学編『山田顯義傳』(昭和38年)、日本大学広報部編『學祖山田顯義漢詩百選』(平成5年)、髙瀨暢彦解題「空齋詩稿」(『日本大学精神文化研究所紀要』第25集 平成6年)を参考にし、表題のない詩の場合は「無題」とした。
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1 山田顕義画賛(絹本墨書) 「蓮」
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2 山田顕義七言詩(絹本墨書) 「明治十年 筑紫軍中作」 (明治10年筑紫軍中の作)
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3 山田顕義七言詩(絹本墨書) 偶作
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4 山田顕義七言詩(絹本墨書) 「作間介堂来訪酔餘分韻」
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5 山田顕義七言詩(絹本墨書) 「登達布骨府山」 (達布骨府山に登る)
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6 山田顕義七言詩(絹本墨書) 「看梅」 (梅を看る)
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7 山田顕義七言詩二首(紙本墨書) 明治十年四月十一日撰抜死士四十名二分之為先鋒以衝突緑川
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8 山田顕義七言詩(絹本墨書) 無題
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9 山田顕義七言詩(絹本墨書) 「有感」 (感じること有りて)
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10 山田顕義七言詩(紙本墨書) 「過白河」 (白河を過ぎて)
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11 山田顕義七言詩(紙本墨書) 「八月二十一日次澄川篁坡詩韻」 (8月21日澄川篁坡に次いで詩韻)
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12 山田顕義七言詩(紙本墨書) 無題
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13 山田顕義七言詩(紙本墨書) 「芳野」 (吉野)
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14 山田顕義五言詩(紙本墨書) 無題
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15 山田顕義七言詩(絹本墨書) 「暁起」 (夜明け前)
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16 山田顕義七言詩(絹本墨書) 「次杉聴雨詩韻却寄」