山田顕義七言詩 (絹本墨書) (明治10年筑紫軍中の作)
[大意]
銀色に輝く川が、月を浮かべて流れている
漸く大砲の爆音も収まり、ゆったりできる夜が来た
清らかな一陣の風が、土埃を吹き払い
この球磨川のほとりの秋が、わがものとなった
[注]
- 【求麻川上】
- 球磨川の岸辺。
[補説]
明治10年(1877)の西南戦争で、別働第二旅団を率いて参戦していた司令長官山田少将は、5月30日の明け方に人吉城(熊本県)の西郷軍に総攻撃をかけ、激戦の末勝利した。しかし、その後宮崎県へと転戦するも苦戦は続き、9月になって人吉にもどってきた。ようやく静けさをとりもどした秋の夜、感懐を詠んだものである(『學祖山田顯義漢詩百選』148頁・048詩「人吉陣中」参照)。
国府青厓校閲・結城蓄堂編『続和漢名詩鈔:全』(大正4年刊)には「肥後陣中作」の題で紹介され、木下彪著『明治詩話』(岩波文庫版。原本は昭和18年発行)にも「肥後陣中の作」として紹介されている。「空齋詩稿」では、「人吉陣中作」の題。