研究 × 実社会

Research × Society
私たちの生活に密着する「消費」。
経済思想史から見えてくる
「豊かさ」とは?
政治経済学科
生垣 琴絵専任講師
経済学というと,景気や市場・GDPといった「社会全体の動き」を分析する学問という印象があるかもしれません。では,私たちの日々の暮らしを支える「消費」は,経済思想史のなかでどのように考えられてきたのでしょうか。政治経済学科の生垣琴絵専任講師に,消費という身近な行動から見えてくる「豊かさ」について伺いました。
「消費」という視点から経済を読み解く
——研究テーマの1つに「消費に関する経済思想史」があるそうですね。経済学というと,国全体の景気に関わるものというイメージを持つ人も多いです。「消費」に注目されたのはなぜでしょう。

生垣琴絵専任講師(以下生垣):そもそも経済学は,「富を生み出し,増やしていく」ことを念頭に置いているところが大きいです。経済学を学ぶなかで,「消費」については「選んだら終わり」で理論が完結してしまうことが多いことに気づきました。
でも,私たちの消費行動はその瞬間だけで完結するものではありません。その前後にさまざまなプロセスがありますよね。そうした実感を持っていたので,消費についてももう少し深く扱うべきではないのかと考えました。そして,消費について考えた経済学はないのだろうかと遡っていくと,ないわけではなかった。それならばテーマにしてみよう,というところから始まっています。経済思想史のなかでも,さらに専門的なテーマに取り組んでいます。
——具体的には,どのような研究をされているのでしょうか。
生垣:消費が重要だと考えた経済学者たちが,どのような背景でそうした議論を展開してきたのかを追いかけています。
私が博士論文で扱ったのは,1920年代のアメリカの女性経済学者でした。当時,女性で経済学の博士号を取得する人自体がごく少ない中で,彼女は消費の理論をまとめた著作を残しているんですね。
なぜその人が消費に注目したのかをたどっていくと,女性という立場が一定の意味を持っていたのではないかという考えに至りました。家庭内で消費を担う存在としての女性の役割が,理論の背景にあったのではないか。この点が見えてきたのは一つの成果だと思っています。
——その研究は,現在取り組まれている「女性と経済学」の研究にもつながっていますか?
生垣:特に「女性」を研究対象にしようと思っていたわけではありませんが,消費経済論的な資料を探すなかでたまたま行き着いたという感じです。
戦前の女性にとって経済学の知識がどのような意味を持っていたのかという共同研究を経て,現在は戦後の女性に対する経済学教育についての研究にも取り組んでいます。

時代背景とともに変化する経済思想
——経済思想史の視点から見ると,「消費」はこれまでどのように扱われてきたのでしょうか。
生垣:まったく議論がなかったわけではありませんが,主流の経済学においては,やはり生産や成長が中心的なテーマでした。
現代の経済学理論の出発点は,アダム・スミスが18世紀に著した『国富論』だと言われています。この時期はヨーロッパを中心に資本主義が成立・拡大し始めた頃。スミスは大量生産を可能にする「分業」を提唱しましたが,これにはスミスが生きた当時のイギリスで経済的な活動が盛んになり,資本主義が本格化していたという時代背景があります。
その後の経済学も,貧富の差や人口増加による飢餓問題,経済成長といった社会課題に応答する形で理論を発展させていきますが,その多くは「どのように富を生み出すか」「どう分配するか」という問題意識に軸足が置かれていました。
——経済学者による思想は様々ですが,それぞれが時代や社会不安などに呼応して発展してきたということでしょうか。
生垣:そうですね。目の前の社会・経済問題を経済学として取り込み,解決したり意味があるものにしたりすることを考えていた人たちが歴史に名を残してるのだと思います。
例えば貿易の差額で国を豊かにしていく「重商主義」が一般的に正しいとされていた時代に,スミスは「それはもう古い」と言って自由貿易の拡大を主張しました。以後も自由主義の経済学が継承され,資本主義が発展していきます。
一方では負の側面も出てきて,そこに着目したのがマルクス。目の前で起きている社会・経済現象に対してどう考えるべきなのかについて取り組んできた結果が,経済理論の変化や一つの思想として残っているのではないかと考えています。
——経済学はなぜ,社会現象を考える学問から,数学を用いる学問へと変わっていったのでしょうか。
生垣:経済学は「ポリティカル・エコノミー」と呼ばれていましたが,ポリティカルには政治だけでなく,国家や社会という意味もあります。でも,政治や社会の定義は学者によって千差万別。そこで,政治と切り離して「経済」そのものを分析する学問を確立しようとする動きが生まれ,「エコノミクス」という呼び方が広まっていきました。
これは社会科学全般に言えることですが,物理学のように再現できない学問は科学と呼べるのか,という批判が当時あって,それに対して経済学は,数学的手法を取り入れて理論を精緻化していこうとしたんです。それが1870年代以後20世紀入口ぐらいまでに起こった展開です。
消費が映し出す「ライフ」と「豊かさ」
——そうした経済思想の流れのなかで,「消費」を重視する考え方はどのように現れてきたのでしょうか。

生垣:主流の経済学とは少し距離を置いた立場から,消費の重要性を指摘した思想家も存在します。その一人が,19世紀イギリスの思想家ジョン・ラスキンです。ラスキンは,当時の経済学が生産や利益の拡大ばかりを重視していることに疑問を投げかけ,経済で本当に大切なのは消費,つまり人々の生活そのものではないかと考えました。
——「生活」という視点から経済を捉え直したのですね。
生垣:そうですね。ラスキンは「ライフ」という言葉を用いて,消費を単なる支出ではなく,生活や人生と結びついた経済活動として捉えました。消費をどう考えるかは,どんな生き方を豊かだと感じるのかという,人間観そのものとも関わってきます。
——「富を生み出し,増やす」ばかりの経済活動が疑問視される現代にも重要な視点かもしれません。そこから「豊かさ」というテーマにもつながっていくのでしょうか。
生垣:ラスキンは「ウェルス(豊かさ)」という概念についても語っています。豊かさとは,単に物が多い状態ではなく,人がどのように生き,何に満足を感じているのかという意識の問題でもある,という考え方です。
実際,物質的には恵まれているはずの国でも,必ずしも幸福度が高いとは限らないという調査結果がありますよね。その感覚は,消費のあり方と深く結びついていると思います。例えば,「推し活」や寄付のように,誰かを応援する行為も広い意味では消費です。そこには金銭的な見返りとは違う満足があります。
経済学はよく「数学を使う難しい学問」と思われがちですが,私自身は,数式よりも,経済学がどんな前提で社会を捉え,どんな答えを導こうとしているのかを考えることが大切だと思っています。現実の社会と,理論が描く世界との間にあるズレをどう捉えるのか。そこに経済学の面白さがあると感じています。
消費や豊かさを考えることは,そのズレを意識しながら,「私たちは何をもって豊かだと感じるのか」を問い直すことにもつながります。経済思想史で積み重ねられてきた議論は,そうした問いに向き合うための道具になると思っています。
Profile
政治経済学科
生垣 琴絵専任講師
Ikegaki Kotoe
2012年 北海道大学にて博士(経済学)取得。小樽商科大学学術研究員,沖縄国際大学経済学部経済学科准教授を経て,21年より日本大学法学部専任講師。専門分野は,経済思想史。