[補説]
「山田伯爵」宛となっているので、山田が伯爵を授けられた明治17年(1884)以降の書簡。翌18年内閣制度の発足により、山田は初代司法大臣に就任。20年には法律取調委員長、22年(1889)に皇典講究所初代所長となり、この年10月皇典講究所内に日本法律学校(日本大学の前身)を創立する。
一方一戸兵衛は、明治16年大尉、18年旅団参謀、21年2月少佐、22年3月広島鎮台歩兵11連隊大隊長と昇進を重ねていった。