9-2 一戸兵衛書簡 (山田顕義宛)
[補説]
この書簡も『一戸将軍』に載っている(13頁)。無事に陸軍士官学校(戸山学校)に入学し、大いに学ぶつもりであったが、間もなく清国との紛争があり、和議を結んで平穏にもどりつつある。さらに、ご布告により士官学校を退校したい者にはこれを許すということで、過半数の状態になっている。このような状況では自分も先行きが不安で、(山田大先生に)教えを乞いたい、という内容になっている。
『一戸将軍』の編者の解説では、明治7年(1874)の台湾出兵(台湾に漂着した琉球民が多数殺害された事件で、日本が明治維新後初めて海外派兵として清国領台湾へ軍隊を送った)後も、いつ清国(中国)と戦争になるか分からない。軍隊を指揮するためにも、まず幹部の養成が必要であると陸軍戸山学校も生徒の増員があったが、初志を曲げず卒業した生徒は少なく、一戸も卒業後の方向が分からず、山田に教えを乞うた時の書簡であるという。