[補説]

井上は、條約書中の法律上の確認を山田へ依頼したようだが、内容は分からない。長屋・児玉、山縣・松岡などはいずれも長州藩出身者であろうが、詳しくは分からない。

山田顕義は、明治3年(1870)、湯田(現山口市内)の旅館「瓦屋」主人鹿島喜右衛門(詳細不詳)の長女龍子(1849~1915)と結婚するが、龍子は井上馨の養女として山田に嫁いでいる。いわば身内であるから、長州藩人に関する細々とした話題も多い。