6 木戸孝允書簡巻 (山田市之允・三好軍太郎宛) 軸装
[補説]
本書簡は日本史籍協会編『木戸孝允文書四』(昭和46年復刻、東京大学出版会)に、明治4年(1871)3月26日「山田顕義・三好重臣宛書翰」(212頁)として収録されている。「準一郎」は木戸の通称。三好重臣(1840~1900)は長州藩士で初め軍太郎と称し、奇兵隊に入り戊辰戦争に参加した。維新後山口県権大属、明治4年8月に陸軍大佐・東京鎮台出仕と昇進する。陸軍要職を歴任した後、枢密顧問官となった。
明治4年1月、明治政府は筑後久留米藩大参事水野正名(1823~1872)等が、山口藩(旧長州藩)奇兵隊脱隊騒動の首謀者大楽源太郎(1832~1871)をかくまったとして、巡察使四条隆謌少将(公家、侯爵。1828~1898)率いる軍を久留米藩に派遣し、水野は免官のうえ捕らえられ東京に護送されるという事件があったばかりである。
そんな危うい時期に、山口藩の国学者鈴木静雄(?~1909)らが薩摩に入国して拘束されたらしく、山口藩から受取人として兵隊世話役秋村欽一郎(大組士)、島田助七(詳細不明)、山縣太郎吉(詳細不明)が派遣されるらしいと木戸らも驚いている。