[補説]

長州藩船手組飯田行蔵(こうぞう。生没年不詳)の書簡。行蔵の息子驥一郎(きいちろう。生没年不詳)の洋学修業について、山田に世話をしてくれないかなど個人的な内容である。樹下明紀・田村哲夫編『萩藩給禄帳』(マツノ書店。昭和59年)に、船手組「飯田行蔵 嫡驥一郎」と出てくるので、間違いないであろうが、『近世防長人名辞典』・『近世防長人物誌 天』には、飯田行三(こうぞう。行蔵と読みは同じ)の長男を義一といい、三井物産に入り、印度綿輸入を開拓して功績をあげ理事となったと記されているが、同一人物の話なのか不明である。