[補説]
明治7年(1874)佐賀の乱が発生し、内務卿大久保利通とともに山田顕義も反乱軍鎮圧のため九州に赴いた。本書簡は佐賀の乱鎮圧の際に記されたもので、書簡によると、当時、山田は福岡と佐賀の境にある三瀬峠の部隊の手配をしていたようである。政府軍は2月27日に総攻撃を仕掛け、3月1日には反乱軍が立て籠もっていた佐賀城を平定した。