[補説]

大山巌(1842~1916)の書簡であろうか。具体的な内容は分からない。大山は天保13年(1842)鹿児島藩士の生まれで、明治維新の動乱期に奔走した。明治4年に陸軍少将、欧州視察を経て帰国し、陸軍卿山県有朋を補佐し陸軍建設に尽力した。西南戦争では別働第一旅団司令長官として出征している。ここまでの経歴は、2歳年下の山田顕義もほぼ同じ。しかし、両人の交流関係についてははっきりせず、『山田伯爵家文書』には大山陸軍大臣から山田司法大臣へ宛てた(年不詳)書簡1点が収載されるのみである。文末に「玉按下」(=玉案下)とあるのは、脇付けといって、宛先の人物に敬意を表す言葉である。