3 山田顕義書簡 (児玉少介宛)
[補説]
児玉少介(しょうすけ。1836~1905)は長州藩八組士の出身で、通称は吉太郎、号を奎海という。天保7年(1836)生まれで、維新期には藩命で国事に奔走し功績があった。新政府に出仕後は内務省庶務課長、太政官御用掛、工部省記録課長、内閣書記部長等を歴任、明治23年(1890)元老院議官に就任、のち貴族院議員。
有地とは有地品之允(ありぢしなのじょう。1843~1919。海軍中将・貴族院議員)、勝田とは勝田四方蔵(しょうだよもぞう。1845~1918。陸軍中将・貴族院議員)のことか。いずれも長州藩士。山田は多趣味で囲碁も好きで、音羽の別荘に、しばしば年来の知友を招待している。