御成敗式目について
御成敗式目は、御成敗式条、貞永式目とも呼ばれ、鎌倉時代に、源頼朝以来の先例や、道理と呼ばれた武家社会での慣習や道徳をもとに制定された、はじめての武家法である。これは、貞永元(1232)年八月十日より施行された。
制定については、執権北条泰時の発意により、評定衆の中でも特に法理に明るい三善康連と協議し、そのほか矢野倫重、斎藤浄円、佐藤業時らの意見を聞いたうえで、三善康連が整理を行い、法橋円全が執筆したものである。
制定の目的は、承久の乱後、幕府が京都方公家の所領三千余か所を没収し、そこに新補地頭が置かれたため所領をめぐる紛争が激増し、その処理のために、一定の規準を設け、これを簡単に整理しようとしたことである。
内容は、全五十一か条からなり、神社・仏事・守護および地頭の権限、所領の知行、刑事法、所領の譲与、訴訟手続等がそれぞれまとめて規定されている。全体的な特色は、道理を重んじていること、実用的なこと、平易な基本法であること、民治に留意していること、公正な裁断を期していることなどが挙げられる。
御成敗式目は、諸国の守護所、地頭に配布され徹底が期され、さらに六波羅探題にも配布されて次第に全国的に行われるようになり、室町時代にも用いられた。また、江戸時代には寺子屋の教科書となった。