山田顕義 書簡
法学部図書館が所蔵する学祖山田顕義の書簡。
山田顕義発信の書簡6点、木戸孝允・井上馨・江藤新平・大木喬任・一戸兵衛等山田宛の書簡14点、合計20点。それぞれの書簡の法学部図書館所蔵に至る経緯ははっきりしない。当時麻布区にあった山田家は、昭和20年5月の空襲で邸宅が焼亡しており、戦災を免れた資料類が子孫家から大学へ寄贈された経緯がある。また、本学の周年記念事業の一環として入手したもの、本学関係者からの寄贈などが由来と思われる。
一戸兵衛(いちのへひょうえ)の書簡に関しては、昭和7年(1932)に刊行された一戸の伝記『一戸将軍』に2点当館所蔵の書簡が掲載されており、編集委員が分担して資料収集したと述べられているので、当時の山田伯爵家を訪問し当該書簡などを借用したものと思われ、後年山田家から本学に寄贈された資料のひとつであろう。
【凡例】
- 読み下しにあたっては、原則として現在使用する漢字をあてた。
- 変体仮名は平仮名にせずそのままとした。「者」(は)・「而」(て)・「与」(と)・「歟」(か)など。
- 書簡中の判読出来なかった文字は□で示した。
- 封筒のある書簡は「 」で宛先を記し脇に(封筒表)と付けた。また当時の書簡は、横に長い半紙に文を綴りながら巻いていき、終わったら糊で封じて宛名を上書きするのが普通で上包み(封筒など)が無い場合が多かった。このような巻封の場合は、宛先「 」の脇に(奥封ウハ書)と付けた。また、巻き終わりに糊で封じた際には、封じ目に「緘」や「封」、あるいは「〆」と書く(封緘という)が、書簡を開くと文字が二分されて宛先の行の左右などに現れる。こうした文字や印は翻刻の対象外とした。
- 書簡・封筒の寸法は、本紙のみの大きさ(縦×横cm)である。
【主な参考文献】
全般的に参考とした文献は以下の通りである。
- 日本大学編『山田顯義傳』日本大学 昭和38年
- 『明治天皇紀』(宮内庁) 吉川弘文館 昭和44年
- 大植四郎編『明治過去帳〈物故人名辞典〉』東京美術刊 昭和46年
- 吉田祥朔著『増補近世防長人名辞典』マツノ書店 昭和51年
- 『国史大辞典』吉川弘文館 昭和55年
- 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館 昭和56年
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』 東京大学出版会 平成3年
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868―2000』東京大学出版会 平成13年
- 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会 平成25年
発信者:山田顕義
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1-1 山田顕義書簡 (伊藤博文宛)
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1-2 山田顕義書簡 (伊藤博文宛)
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1-3 山田顕義書簡 (伊藤博文宛)
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2 山田顕義書簡巻 (緒方中典医宛)
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3 山田顕義書簡 (児玉少介宛)
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4 山田顕義書簡 (長三洲宛)
受信者:山田顕義
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1 大山(巌)書簡 (山田顕義宛)
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2 大久保利通書簡 (山田顕義宛)
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3 江藤新平書簡 (山田顕義宛)
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4 飯田行蔵書簡 (山田市之允宛)
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5 木戸孝允書簡 (山田顕義宛)
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6 木戸孝允書簡巻 (山田市之允・
三好軍太郎宛) -
7 井上聞多書簡 (山田市之允宛)
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8 井上馨書簡 (山田顕義宛)
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9-1 一戸兵衛書簡 (山田顕義宛)
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9-2 一戸兵衛書簡 (山田顕義宛)
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9-3 一戸兵衛書簡 (山田顕義宛)
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9-4 一戸兵衛書簡 (山田顕義宛)
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10 (陸奥)陽之介書簡 (山田市之允宛)
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11 大木喬任書簡 (山田顕義宛)