日本大学法学部 令和6年度 学生研究室案内 デジタルパンフレット
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1717昭和37年当時日大で教鞭を執っておられた宗宮信次博士は,日本大学の司法試験合格率の低さを非常に嘆かれ,勉学意欲に富む熱心な学生に対し「教育はギブ・アンド・テイク」ではない「ギブ・アンド・ギブ」であるとの理念の基に,自費を投じて,佐々木,松沢外3,4名の弁護士を集め,私設「桜門研究室」を作られた。その後昭和41年に1名の合格者を出し,以降毎年合格者を出すに及び,昭和49年正式に大学の研究室として認められた。当時の法学研究所所長杉山逸男教授が担当者として,沼研究室─稲田俊信(小野幸二),桜門研究室─高瀬暢彦(佐々木秀雄)を任命し,特別研究室と共に体制を整え,法曹界に裁判官,検事,弁護士等を続々と送り出して来たのである。桜門研究会の特色は,前記のとおり研究会の発足当初は,大学側からも認知されない嫡出でない子としての取り扱いであり,使用する教室一つを確保するのにも大変苦労されたと聞いている。上記のような状況のなかに集まった学生は,先ず実績をつくって学校に認めて貰うという自主的意欲に燃え,自主ゼミを活発に行ったものである。研究会という組織体である以上,その発足時の精神が継承され,合格者・先輩が後輩の指導にギブ・アンド・ギブの精神で当たり,継続して合格者を司法界に送り出す結果につながってきたものと考えます。桜門研究会に所属する学生諸君には,かかる歴史と伝統を理解され,先ず徹底的に司法試験合格に向けて,自己の有するもの統べてを傾注した自己改革をし,必ず合格するとの目標に向かい,全時間を自己が決定した目的実現のために費消して貰いたいと希望している。学生の特権は,社会人と異なり,自己の有する時間を自己の向上のためにのみ持ちうることができるのである。社会人は生活のため,その時間を自己の向上のみではなく,いわば時間を切り売りして収入を得ざるをえないものである。各人が有する時間は平等であるが,その時間を寸暇も無駄にすることなく自己の実力の向上のために有意義に使用し得た者が司法試験合格の早道である。桜門研究会でも,若い合格者を一人でも多く司法界に送り出したいと念じている。多数の向学心に燃える学生の参集を求め,先輩と後輩の連携を強化し,司法試験合格に向かいたい。(文責 弁護士 齋藤 晴太郎)桜門研究会

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